物語り
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竜は強欲の始まりを語らなかった

火竜帝国の閉ざされた鉱山町には、黄金への執着から竜と化した鉱夫長の伝説と、脈を掘り当てた者を蝕む「黄金病」が伝わっていた。観察者レイブンは骸となった竜の記憶を辿るが、強欲が竜を生んだのか、竜が強欲を呼んだのか、答えは坑道の闇に沈んだままだった。

一 黄金坑の谷、閉ざされた坑道

坂を登り切ったところで、レイブンは足を止めた。

眼下に広がるのは、山肌を削って作られたひとつの谷だった。かつては栄えていたのだろう、石積みの家々が斜面に沿って幾重にも連なっている。だが、その多くはすでに屋根が落ち、壁の隙間から冬草が伸び放題になっていた。煙突から煙の立つ家は、数えるほどしかない。谷の最奥、切り立った岩壁にぽっかりと口を開けているのが、この土地の名の由来となった坑道――黄金坑だった。坑口には太い角材が幾本も打ちつけられ、錆びついた鎖で頑丈に閉ざされている。その鎖の錆び具合だけを見ても、封じられてから相当な歳月が経っていることが分かった。

火竜帝国バーンクレストの辺境、地図にはただ「黄金坑の谷」とだけ記された土地だった。レイブンがこの名を記録帳に書きつけたのは、隣の街道筋の宿で小耳に挟んだ、ひとつの噂がきっかけだった。「あの谷の坑道には、黄金に取り憑かれて竜になった男の伝説が眠っている」――酒盛りの席の与太話にしては、妙に具体的で、妙に怯えを含んだ声だった。話していた行商人は、それ以上詳しく語ろうとはせず、代わりに何度も自分の胸元を握りしめる仕草を見せていた。まるで、そこに何か大切なものを隠しているかのように。

谷に足を踏み入れると、その怯えの理由が、少しずつ輪郭を持ち始めた。

すれ違う住人たちは一様に、口数が少なかった。挨拶を返しはするが、目を合わせるのを避けるような素振りがある。井戸端で洗濯をしていた女に道を尋ねると、女は手を止め、レイブンの旅装をひとしきり検分してから、ようやく口を開いた。

「旅の記録者かい。物好きだね、こんな谷まで。……坑道なら、もう三十年も閉じてるよ。掘っても、ろくなことにならないから」

「ろくなこと、とは」

女はそれには答えず、洗濯物を抱えて足早に去っていった。その背中を見送っていると、少し離れた石垣の陰から、幼い男の子がひょっこりと顔を覗かせた。旅人が珍しいのか、興味津々といった様子で近づいてくる。

「おじさん、坑道を見に来たの? やめときなよ。あそこには、金の亡霊が住んでるんだって。おじいちゃんが言ってた」

「金の亡霊?」

「うん。金を独り占めしたまま死んだ人の魂が、竜になって今も坑道の奥にいるんだって。近づいた奴の心を読んで、欲しいものを見せて、そのまま連れて行っちゃうんだ」

男の子はそう言うと、自分の言葉に自分で怖くなったのか、身をひるがえして家の裏へと駆けていった。レイブンは記録帳に「黄金病」という単語の隣に、「金の亡霊」という言い回しも書き加えた。子供の間にまで広まっているということは、それだけこの伝説が、谷の暮らしに深く根を張っている証だった。

谷の中央には、かつて鉱夫たちの詰所だったとおぼしき、大きな木造の建物が残っていた。今は宿と酒場を兼ねた、この谷でほとんど唯一の商いの場になっているらしい。レイブンが荷を下ろすと、宿の主人は愛想よく迎え入れてくれたものの、坑道の話を切り出した途端、その笑みがわずかに固くなった。

「黄金坑のことをお調べで。……まあ、この谷に来た旅の方には、いずれ耳に入ることでしょうから、隠しても仕方ない。ただ、あまり深入りはなさらないほうがいい」

「深入り、というと」

主人は答える代わりに、酒場の壁を指差した。そこには、古びた一枚の絵が掛けられていた。松明の炎に照らされた坑道の奥、うずくまるようにして横たわる巨大な竜の姿が、粗い筆致で描かれている。竜の鱗の一枚一枚に、金色の顔料が丁寧に塗り込められていた。長年の煤で燻されて、その金色はくすんだ茶色に近づいていたが、それでもなお、絵の中の竜の瞳だけは、不思議なほど鮮やかな輝きを保っていた。

「あの絵に描かれているのが、この谷の言い伝えに出てくる竜です。今夜、谷でいちばんの語り部のところへ、ご案内しましょうか。鍛冶屋のドルフ翁なら、あなたの知りたいことを、きっと詳しく話してくれるでしょうから」

レイブンは頷き、絵の中の竜の、金色に光る瞳をしばらく見つめていた。その瞳には、単なる装飾以上の何かが宿っているように、レイブンには思えてならなかった。

二 老鍛冶ドルフの述懐、竜と化した鉱夫長

ドルフの鍛冶場は、谷の外れ、坑道を見上げる位置にひっそりと建っていた。炉の火はすでに落とされていたが、鉄と炭の匂いが、染みついたように部屋の隅々に残っている。壁には、使い込まれた金鎚や鏨が、大きさ順に整然と掛けられていた。杖を突いて現れたドルフは、白く濁った片目と、深い皺の刻まれた顔をした老人だった。

「旅の記録者が来ると聞いて、待っておったよ。どうせ坑道の話だろう。この谷を訪れる旅人は、みなそれを聞きたがる」

炉端の粗末な椅子にレイブンを座らせると、ドルフは低い声で語り始めた。

「今から百年以上も昔のことだ。この谷は、まだ黄金坑と呼ばれる前から、良質の金脈で知られておった。当時、鉱夫たちを束ねる長を務めていたのが、二人の兄弟だ。兄は名をガルドといい、弟は――わしの先祖にあたる、レーギンという男だった」

老人はそこで一度言葉を切り、乾いた咳をひとつした。

「兄のガルドは、腕のいい鉱夫だった。誰よりも深く、誰よりも正確に脈を読む男でな。周りの者は皆、そんな兄を頼りにしておった。だが、掘れば掘るほど、その心は変わっていった。最初は、家族を養うための実直な稼ぎだったはずが、いつしか黄金そのものに取り憑かれるようになった。誰にも触れさせず、誰にも分けず、坑道の最奥に自分だけの蔵を掘り、そこに金塊を積み上げていった。やがてガルドは、家族の元にも戻らなくなり、坑道の奥にこもりきりになった。妻や幼子が呼びかけても、返ってくるのは獣のような唸り声だけだったと、古い記録には残っておる」

「そして――竜になった、と」

「そうだ。伝えられるところでは、ある夜、坑道から地鳴りのような咆哮が響いた。そのまま三日三晩、誰も坑道に近づけなかった。地面が揺れ、坑口からは硫黄の匂いを含んだ熱気が吹き出したという。ようやく静まった後、恐る恐る奥へ踏み込んだ者たちが見たのは、人の姿をした兄ではなく、金色の鱗をまとった巨大な竜だった。誰もそれをガルドだとは信じたがらなかったが、竜の片方の目には、ガルドが幼い頃に負ったのと同じ古傷が残っておったそうだ」

ドルフの声は、そこで初めてわずかに揺らいだ。

「弟のレーギンは――わしの先祖は、兄を竜に奪われたと嘆きながら、同時に、竜が守る黄金のことも決して忘れられなかった。表向きは兄を悼み、裏では毎晩のように坑口を眺めては、あの黄金を誰かに掘り出させる算段を巡らせておったという。そこへ、谷に流れ着いた、若く腕の立つ流れ者が現れた。名を、シグートという。レーギンはこの若者にこう持ちかけた。竜を討てば、黄金はお前のものだ、とな」

シグートは策を練り、坑道の細い横穴に身を隠し、竜が水を飲みに通る道の下を深く掘り下げた。竜――ガルドが上を通り過ぎる瞬間、その柔らかい腹めがけて、長剣を突き上げたのだという。

「竜は坑道を揺るがす断末魔をあげて息絶えた。シグートはその心臓を炉で焼こうとしたが、滴った血が指先にかかり、思わずそれを舐めてしまった。すると、それまで意味の分からなかった坑道の鳥や蝙蝠の鳴き声が、突然、言葉として聞こえるようになったという」

「鳥たちは、何を語っていたのですか」

「レーギンが、シグートを罠にかけて始末し、黄金を独り占めにしようとしている――その企みを、だ。シグートは鳥の忠告に従い、レーギンを討ち、竜の遺した黄金と、竜の血がもたらした知恵とを、両方とも受け継いだ」

ドルフは杖の先で、床の一点を長く見つめていた。

「わしはな、その裏切ろうとした弟の血を引いておる。この谷で鍛冶を営む家系は、代々そのことを恥として語り継いできた。強欲に負けたのは兄だけではない、弟もまた、形は違えど同じ病に蝕まれておったのだ、とな。……子供の頃、父からこの話を聞かされたとき、わしは声も出せなんだ。自分の先祖が、命の恩人にもなり得た若者を殺めようとした裏切り者だったとはな」

炉の残り火が、ぱちりと小さな音を立てて弾けた。ドルフはその音に、ふと我に返ったように顔を上げた。

三 黄金病、脈を掘り当てた者

伝説を聞いた翌日、レイブンは谷の住人たちに、より直接的な問いを投げかけて回った。「黄金病」とは、実際にはどのような病なのか。

答えは、誰の口からもほぼ同じ形で返ってきた。金脈を掘り当てた者が、次第に人が変わっていく――というのだ。最初は些細な変化だという。誰にも掘り当てた場所を教えなくなる。仲間の鉱夫を、自分の取り分を狙う敵のように見るようになる。眠りが浅くなり、坑道に一人でこもる時間が長くなる。そして最後には、家族の顔さえまともに見ようとしなくなるのだと、老いた鉱夫の妻が、乾いた声で語ってくれた。

「うちの人もそうだったよ。三十年前、坑道が閉じられる少し前にね。小さな脈を掘り当てて、それからひと月もしないうちに、人が変わったようになっちまった。夜中に一人で起き出して、金塊を数えては隠す場所を変えるんだ。あたしにも、我が子にも見せようとしなかった。あの人が本当に、あたしたちのことを何とも思わなくなったのか、それとも、何かに脅かされて、そうせざるを得なかったのか……今でも分からないままさ」

別の家では、齢を重ねた元鉱夫が、震える指で自分の胸元を押さえながら、こう漏らした。

「あれは、ただの欲じゃない。何かに見張られているような感覚だった。誰かがずっと自分の金を狙っているという気配が、頭の中から離れなくなる。眠っていても、その気配だけは覚めておるのだ」

谷の広場に面した雑貨屋の店主は、レイブンの問いにしばらく黙り込んだ後、声を落としてこう付け加えた。

「病というより、あれは伝染するものなんじゃないかと、あたしは思っている。掘り当てた本人だけじゃない。その様子を見た周りの者まで、いつの間にか、自分もいつか同じ目に遭うんじゃないかと怯えるようになる。だから誰も、脈が出たなんて話は口に出したがらないのさ。噂を立てるだけで、まるで呪いを呼び込むみたいに」

その言葉通り、谷の住人たちの間では、金脈の話題そのものが一種の禁忌になっているようだった。レイブンが道々で交わした会話のほとんどは、天候や作物の出来といった、当たり障りのないものばかりに終始した。それだけに、実際に脈を掘り当てた者の話を、当人の口から直接聞けるかどうかは、大きな賭けだった。

だが、谷の外れ、封鎖された坑道からわずかに離れた一角では、今も細々と採掘を続ける、ひとにぎりの鉱夫たちがいた。案内されたそこで、レイブンはひとりの若い鉱夫と出会った。名をヨーランといった。

ヨーランは他の鉱夫たちから少し離れた場所で、黙々と鶴嘴を振るっていた。その傍らには、粗末な布で覆われた木箱がひとつ、大切そうに置かれている。レイブンが声をかけると、ヨーランは驚いたように顔を上げ、とっさに木箱を自分の体で隠すような仕草を見せた。

「……旅の記録者、ですか。何か御用で」

その声には、隠しきれない警戒が滲んでいた。レイブンが黄金坑の伝説について尋ねていることを告げると、ヨーランの表情はわずかに緩んだが、それでも木箱から目を離そうとはしなかった。話をするうち、ヨーランがこの谷に流れてきたのは去年のことで、故郷を早くに離れ、身寄りもないまま鉱夫を渡り歩いてきたのだと分かった。この谷を選んだのも、他の鉱夫が誰も寄りつかない辺鄙な場所だからこそ、誰にも邪魔されず、自分だけの一攫千金を狙えると考えたからだという。

「半月ほど前に、ここでちょっとした脈を掘り当てたんです。誰にも言っていません。言えば、取り分を寄越せと言い出す奴が必ず出てくる。ここじゃ、そういうものだから」

「その箱が、そうですか」

ヨーランは一瞬迷った末に、布を少しだけめくって見せてくれた。中には、拳ほどの大きさの金塊が、鈍い光を放って収まっている。だが、レイブンの目を引いたのは金塊そのものよりも、それを見つめるヨーランの目つきだった。喜びよりも、何かに怯えるような、落ち着かない色をたたえていた。

「実は……先輩の鉱夫から、妙な言い伝えを聞いたんです。坑道の最奥、伝説の竜が眠っていたとされる場所には、今も『血の泉』と呼ばれる赤い水たまりが残っていて、その水に触れると、誰が自分を裏切ろうとしているか、本当のことが分かるようになる、と。……最近、仲間のひとりが、この金塊のことを嗅ぎつけたような素振りを見せていて。あいつだけは信じていたつもりだったのに、信じていいのか、わからなくなってしまって」

レイブンは記録帳に手を伸ばしかけて、ふと止めた。ドルフの語った伝説と、目の前の若者の怯えとが、まるで同じ根から伸びた二本の枝のように重なって見えたからだった。

「その泉に、行くつもりですか」

ヨーランはしばらく黙り込んでから、小さく頷いた。

「今夜、行きます。誰にも言わずに。……あなたにも、本当は言うべきじゃなかったのかもしれない」

その声の底に沈む昏さに、レイブンは強い胸騒ぎを覚えた。

四 坑道最奥、血の泉と竜の骸

日が沈み、谷が闇に沈んだ頃、レイブンはヨーランの後を追って、封鎖された坑道の裏手にある、住人にしか知られていない抜け穴へと向かった。止めるべきか迷ったが、止めたところで、この若者が思い留まるとは思えなかった。ならばせめて、その目でこの伝説の行き着く先を見届けようと、レイブンは決めていた。

抜け穴は狭く、灯りを頼りに這うようにして進まねばならなかった。ヨーランは黙って先を歩き、時折、木箱を抱えた手にぐっと力を込める仕草を見せた。冷たい岩肌から染み出す水音と、二人の足音だけが、坑道の暗闇に反響していた。天井は次第に低くなり、頭上を横切る古い坑木が、灯りに照らされるたびに、今にも崩れ落ちそうな軋みを立てた。

半刻ほど進んだところで、通路が不意に開けた。

そこは、天然の洞のように広がった空間だった。灯りを掲げると、その奥に、白く朽ちた巨大な骨格が横たわっているのが見えた。竜の骸だった。頭蓋の大きさは人の背丈ほどもあり、折れた肋骨の隙間からは、遠い昔に採掘され尽くしたとおぼしき、乾いた土が覗いている。骸の傍らには、赤黒く変色した岩の窪みが広がっていた。鉱物を含んだ地下水が、長い年月をかけて滲み出し、その色に染まったものだろう。これが「血の泉」なのだと、レイブンは直感した。

ヨーランは骸に一瞥もくれず、まっすぐに赤い水たまりへと歩み寄った。その足取りには、もはやためらいがなかった。

「待ってください」

レイブンの声にも構わず、ヨーランは水たまりに手を浸し、その手を口元へと運んだ。

刹那、洞の奥から低い震動が伝わってきた。長年放置された坑木が、その振動に耐えかねたのか、頭上でみしりと乾いた音が鳴った。レイブンは咄嗟にヨーランの腕を掴み、水たまりから引き離した。次の瞬間、二人が立っていた場所のすぐ真上から、崩れた岩塊が音を立てて落ちてきた。灯りが一瞬揺れて消えかけ、砂埃と土の匂いが辺りを包んだ。

ようやく震動が収まると、ヨーランは荒い息をついたまま、その場にへたり込んでいた。怪我はないようだったが、その目は焦点を失い、何かに憑かれたように宙を見つめていた。

「……見えた」

かすれた声で、ヨーランはそう呟いた。

「仲間の顔が、いくつも見えた。誰もが、僕の金塊を狙っている顔だった。友人だと思っていた奴の目にも、同じ色があった。……いや、違う。あれは、僕自身の目に映っていた色なのかもしれない。誰かを信じたいと思う端から、疑う理由ばかりが積み重なっていく。あの一瞬だけで、もう分からなくなってしまった」

ヨーランの体は、小刻みに震えていた。レイブンはその震えを見つめながら、ドルフの語ったシグートの逸話を思い返していた。竜の血に触れ、鳥の言葉を理解する力を得たシグートが、最初に耳にしたのは、実の兄弟の裏切りの企みだった。それは知恵という名の贈り物であったと同時に、二度と誰も無条件には信じられなくなるという、重い代償でもあったのではないか。

「僕は、この金塊が欲しかっただけなんです。それだけだったはずなのに……気づいたら、誰の目も信じられなくなっていた」

ヨーランは震える手で、木箱の蓋を開けた。金塊は、洞の薄闇の中でもなお、鈍い輝きを放っていた。その輝きを見つめるヨーランの顔には、もはや喜びの色はなく、ただ疲れ果てたような虚しさだけが浮かんでいた。

「竜になった鉱夫長も、こんなふうに、少しずつ何かを失っていったんでしょうか」

レイブンはすぐには答えなかった。骸の傍らにしゃがみ込み、朽ちた頭蓋の、片方の眼窩の縁に残る、古い傷跡のような欠けを、指先でそっとなぞった。ドルフの語った、ガルドの幼い頃の古傷と同じ場所だ。伝説は、思っていた以上に精緻に、この骨と結びついていた。

「分かりません」と、レイブンはようやく口を開いた。「強欲があったから、竜になったのか。竜になったから、強欲がさらに深まったのか。あるいは、その両方が、少しずつ絡まり合いながら進んでいったのか。……ただ、ひとつだけ言えることがあります。あなたは今夜、引き返すことができた。ここで踏みとどまれたことは、決して小さなことではないはずです」

ヨーランは長い沈黙の後、木箱の蓋をゆっくりと閉じた。二人は崩れた岩塊を避けながら、来た道をゆっくりと戻っていった。振り返ると、竜の骸は灯りの届かない闇の中に、静かに沈んでいくように見えた。

五 谷を発つ朝、二つの解釈

翌朝、ヨーランは自ら望んで、掘り当てた金塊のことを仲間の鉱夫たちに打ち明けた。独り占めにするつもりだった、と正直に詫び、脈の在り処を含めて皆で分かち合いたいと申し出た。他の鉱夫たちの反応は様々だった。呆れたように笑う者もいれば、拍子抜けしたように黙り込む者もいた。それでも、ヨーランの顔からは、あの夜に見せていた怯えの色が、幾分か薄れているように、レイブンには見えた。作業を終えた鉱夫たちが、久しぶりに連れ立って酒場へ向かう背中を、レイブンは少し離れた場所から見送った。

荷造りを終えたレイブンのもとに、ヨーランが息を切らせて駆けてきた。手には、小さく切り分けた金塊の欠片が握られている。

「これ、記録の礼にと思って。……大したものじゃないけど、受け取ってもらえませんか」

「受け取れません。わたしはただ、あなたの話を聞いて、書き留めただけです」

「それでも、です」ヨーランは欠片をレイブンの手に押しつけるようにして握らせた。「昨夜、あなたが腕を掴んでくれなかったら、僕はきっと、あの泉に顔を近づけたまま、二度と正気には戻れなかった気がする。何に礼を言えばいいのか分からないから、せめてこれだけでも」

レイブンは小さな欠片を陽にかざした。鈍く光るその表面には、まだヨーラン自身の指の跡が、うっすらと残っているように見えた。

「大切に持っておきます。……あなたも、大切に。今度は、独り占めにしないと約束できますか」

ヨーランは少し照れたように笑い、深く頷いた。その笑顔には、初めて会ったときには無かった、力の抜けた素直さが滲んでいた。

出立の朝、レイブンは最後にもう一度、ドルフの鍛冶場を訪れた。老人は炉に小さな火を入れ、何をするでもなく、その揺らぎをじっと見つめていた。

「昨夜のこと、ヨーランから聞いたよ。血の泉まで行ったそうだな」

「ドルフさんは、ずっと考えてこられたのでしょうね。強欲が竜を生んだのか、竜が強欲を招いたのか」

ドルフは炉の火から目を離さぬまま、ゆっくりと首を振った。

「わしの一族は、百年以上、その答えを探し続けてきた。だが、いまだに分からんままだ。ガルドは、竜になる前から、少しずつ人が変わっていった。それは確かだ。だが、竜になった後のガルドを、実際に見た者は誰もおらぬ。もしかしたら、竜という体そのものに、人の心を蝕む何かが備わっていたのかもしれん。……分からぬことを、分からぬままにしておくのも、生きていく上ではひとつの知恵なのだと、近頃はそう思うようになった」

その言葉を、レイブンは記録帳の余白に、そのまま書き写した。

坑道の裏手を通り、谷を発つ道すがら、レイブンはもう一度だけ、封じられた坑口を振り返った。あの奥深くに、金色の鱗をまとった竜の骸と、赤く染まった泉が、今も静かに横たわっているはずだった。竜自身は、もう二度と何も語らない。かつて何を思い、坑道の奥にこもり続けたのか、その心の奥底にあったものが強欲だったのか、あるいは強欲に見せかけられた何か別のものだったのか、竜はついに一言も語らぬまま、骨だけを谷に残していった。

それでも、その沈黙は、確かにこの谷の暮らしの中に、生き続けていた。ヨーランが踏みとどまった一夜も、ドルフの一族が背負い続けてきた恥も、すべてはあの骸の沈黙から生まれた、伝承という名の余波なのだろう。

レイブンは記録帳の最後のページに、短くこう書き記した。

――竜は、強欲の始まりについて、ついに何も語らなかった。それは、語るべき言葉を持たなかったからか、あるいは、語ることを自ら禁じたからか。わたしにはまだ分からない。ただ、その沈黙に触れた者たちが、それぞれの形で何かを引き受けていく様だけを、わたしはこの手で書き留めておく。

坂を下り切ったところで、レイブンは一度だけ、谷の全景を目に焼き付けた。朝靄の向こうに、閉ざされた坑口がかすかに見えていた。それから足を返し、次の街道へと歩き出した。

あとがき

本作は、北欧・ゲルマン神話に伝わるシグルドとファヴニルの物語(『ヴォルスンガ・サガ』『詩のエッダ』等に記録)を下敷きにした翻案である。強欲のあまり竜へと変じた兄、その兄を討たせるべく若き英雄をそそのかした弟、竜の血に触れたことで裏切りの企みを知り弟を討つ英雄――という原典の骨格を保ちながら、舞台を火竜帝国バーンクレストの鉱山町「黄金坑の谷」に置き換え、旅する観察者レイブンを狂言回しとして配置した。

原典で神話的に語られる「竜の血がもたらす知恵」を、本作では現代的な強迫観念にも通じる「黄金病」という土地の奇病として再構成し、竜そのものは骸としてのみ登場させることで、伝説と現実の境界が曖昧なまま漂う構成を試みた。ドルフ、ヨーラン、シグート、レーギンといった人物や、黄金病、血の泉といった道具立てはすべて本作のための創作であり、原典や特定の翻訳文からの逐語的な引用は行っていない。


本作は『ヴォルスンガ・サガ(The Story of the Volsungs)』(https://www.gutenberg.org/files/1152/1152-h/1152-h.htm)に記録されたシグルドとファヴニルの伝承を参考にした翻案作品です。

本作は作者不詳(13世紀アイスランド、英訳:ウィリアム・モリス/エイリークル・マグヌッソン)の『ヴォルスンガ・サガ(The Story of the Volsungs)』を参考にした作品です。原典