物語り
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竜は二度目の炎を赦さなかった

秘境の谷を統べる女王アイシャは、地底に眠る老竜の息吹である「紅炎の柱」によって二千年の若さを保ってきた。学者ホリーと養子レオは遺された刻印を頼りにその谷を訪れるが、女王が再び炎に浸ろうとした夜、竜は二千年分の刻を一息に取り戻す。

一 遺された刻印

ホリーが養子のレオ・ヴィンシーを引き取ったのは、レオがまだ物心つく前のことだった。学寮の一室にこもり、埃をかぶった古文書ばかりを友としてきたホリーにとって、笑い声の絶えない年若い息子との暮らしは、彼自身の人生に思いがけない彩りを添えるものだった。書斎の窓辺に置かれた揺り椅子に幼いレオを座らせ、古代の英雄譚を読み聞かせた夜のことを、ホリーは今もはっきりと覚えている。レオはやがて逞しい青年に育ち、学問より剣や馬を好んだが、それでもホリーの書斎の最奥、鍵のかかった小箱に納められたひとつの黒ずんだ陶片にだけは、幼い頃から妙な執着を見せた。

その陶片は、レオの実の父が死の床でホリーに託した唯一の遺品だった。表面には、判読の難しい古代の文字が几帳面な手で刻まれている。添えられた古い手記によれば、レオの一族は遥か昔、名も知れぬ女王の呪縛から逃れた末裔であるという。手記の筆者――幾世代も遡る祖先の一人――は、震える筆致でこう書き残していた。「いつか血を継ぐ者、再びかの谷を訪れるべし。さすれば女王は汝を、失われた恋人と見紛うであろう。危うさを恐れず、されど誘いに溺れることなかれ」。

長らくホリーはこれを、没落した家系が誇りを繋ぎとめるために拵えた、他愛のない作り話だと思っていた。夕食の席でレオがふざけてその文言を諳んじるたび、ホリーは苦笑して話を切り上げたものだった。人生の大半を書物の中に費やしてきた自分にとって、伝説と歴史との境目は、いつも冷静に見極めねばならないものだったからだ。

だがレオが二十四になったある晩、二人は連名で一通の招待状を受け取った。差出人は、大英博物館で東方古物を扱う老学者で、ホリーの旧友でもあった。「君の家に伝わる陶片と対になる品が、競売に出た遺跡発掘品の中に紛れ込んでいた。至急、確かめに来られたし」。急ぎ馬車を仕立てて博物館へ向かう道すがら、ホリーはなぜか胸の底に、長らく忘れていた予感がざわめくのを感じていた。

その品は、陶片とぴたりと継ぎ目の合う、もう半分の欠片だった。二つを合わせると、刻まれた文字は一つの詩のように意味を結び、地の底に紅く燃える炎の柱と、そこに永遠の若さを求めて君臨する女王の名を告げていた。老学者は震える指先で拡大鏡を二人に渡しながら、興奮を隠さずに言った。「これはただの伝説ではない。記された地名は、近年の探検記にある未踏の谷と、驚くほど符合する。海図にもない場所だが、幾人かの旅人が、遠くから紅い光を見たと証言している」

その夜、ホリーは久方ぶりに眠れなかった。窓の外では、初夏だというのに妙に冷たい風が鳴っていた。隣室から聞こえるレオの寝息にまじって、遠く教会の鐘が幾度も同じ時刻を打ち直しているように感じられたのは、おそらく老いた耳の錯覚に過ぎなかっただろう。それでも書斎の陶片を月明かりに透かしてみると、刻まれた古代文字の一画が、まるで呼吸するように仄かに温かく感じられ、ホリーは思わず手を離した。

翌朝、朝食の席でレオが「行こう、ホリー。行かなければ、父の言葉は永遠に謎のままだ」と言い出したとき、ホリーはすでに、この静かな書斎の日々が終わりを告げていることを悟っていた。

「もし本当に女王とやらがいて、お前を誰かの生まれ変わりだと言い張ったら、どうする」

ホリーが半ば戯れに尋ねると、レオは笑って肩をすくめた。

「そのときは、丁重にお断りするさ。俺には俺の人生がある」

その言葉を、ホリーは後になって幾度も思い返すことになる。荷造りを終え、旅券の手続きを済ませる間、老学者は幾度も念を押した。「行くならば、決して欲に流されるな。若さや永遠を約束するものほど、代価を隠しているものだ」。ホリーはその忠告を、旅の手帳の最初の頁に書き留めた。

二 覆面の民と紅炎の谷

船旅と隊商の日々は、二人が思っていたよりも遥かに長く、過酷だった。灼けた海岸線を辿り、水の乏しい荒野を越え、幾度も引き返しかけた末、彼らはようやく、地図にない密林の奥に隠れ谷を見つけた案内人の言葉を信じることにした。案内人は谷の名を口にするたび、決まって声を落とし、周囲を窺うような仕草を見せた。「あそこに踏み入った者は、二度と同じ姿では戻らない、と言われております」。それでも彼は、ホリーが差し出した謝礼に押し切られる形で、二人を谷の入口まで導くことを承知してくれた。

谷へ至る道は、切り立った岩の裂け目一本きりだった。裂け目を抜けた瞬間、むせかえるような緑の匂いと、地の底からかすかに伝わる低い響きが、二人を出迎えた。それは太鼓の音にも、遠雷にも似ていたが、途切れることなく、一定の間隔で繰り返されていた。まるで巨大な何かの、緩やかな鼓動のようだった。レオは思わず足を止め、地面に手をついてその響きを確かめた。「これは……生きているものの音だ」。彼の呟きに、ホリーもまた無言でうなずくほかなかった。

谷に暮らす民は、顔の下半分を薄布で覆う風習を持っていた。彼らはホリーとレオを敵意も友愛も見せぬ、奇妙に静かな眼差しで迎えた。宿営の世話を焼いてくれたのは、覆面の下から時折のぞく涼しげな瞳が印象的な、若い娘だった。名をウスターナといい、谷の言葉に不慣れな二人のために、片言の交易語で身の回りの世話を焼いてくれた。彼女の手つきは驚くほど丁寧で、レオの荷を解きながら、傷んだ靴の縫い目まで気にかけてくれるほどだった。

「あの音は何だろう」

レオが地の底の響きを指して尋ねると、ウスターナは一瞬、覆面越しにもわかるほど表情を強張らせた。

「谷の下には、何かが眠っている、と伝わっています。名を口にすることは許されていません。私たちはただ、『下なるもの』とだけ呼びます」

「眠っている、というのは、生きているということか」

「わかりません。ただ、あの音が止んだ日には、谷そのものが終わる――そう年寄りたちは申します。反対に、あの音があまりに強く速くなる夜も、良くない徴だと」

ウスターナはそれ以上を語ろうとせず、話題を変えるように、谷の奥に住まう女王のことを口にした。谷の民にとって、女王は畏怖の対象であると同時に、絶対の支配者だった。誰も彼女の素顔を見たことがなく、ただ薄い帳の向こうに揺れる人影だけが、幾世代にもわたって語り継がれているという。女王の名を出すとき、ウスターナの声はいっそう小さくなり、まるで誰かに聞かれることを恐れているかのようだった。

数日が過ぎるうち、レオとウスターナの間には、言葉を超えた親しみが育っていった。谷の夜に灯される篝火のそばで、二人は身振りと片言だけで長く語り合うようになり、ホリーはその様子を、いくばくかの不安とともに見守っていた。ウスターナはレオに、谷の草花の名や、星の位置で方角を読む術を教え、レオはお返しに、故郷の歌を口ずさんで聞かせた。その歌声が篝火の煙とともに夜空へ溶けていくのを、谷の民たちも遠巻きに、どこか懐かしげな顔で眺めていた。

ある夜、篝火に照らされたレオの横顔を見つめながら、ウスターナは覆面を半分だけ下ろし、初めて素顔をのぞかせた。彼女の頬には、まだあどけなさの残る笑みが浮かんでいた。「あなたのような人が、この谷に来ることは滅多にありません」。その言葉には、隠しきれない喜びと、同時にかすかな怯えとが、綯い交ぜになっていた。

だが同じ夜、宿営の外れに置かれた祭壇に、誰の手によるものか、見慣れぬ紅い花が手向けられているのをホリーは見つけた。花はまだ谷のどこにも咲いていない種類のものだった。ウスターナに尋ねると、彼女は花から目を逸らし、震える声で答えた。

「女王さまが、私たちを見ておられるしるしです。誰かが、女王さまの目に留まった、ということです」

その夜を境に、地の底の鼓動は、心なしか速さを増したように、ホリーには聞こえた。宿営の誰もがそれに気づいていながら、誰一人として、口に出そうとはしなかった。

三 二千年の女王アイシャ

女王からの呼び出しは、それから三日後に届いた。使者に立ったのは、他の民とは異なり顔を覆わぬ、白髪の老女だった。老女はホリーとレオを見比べ、とりわけレオの顔立ちを長く、食い入るように見つめてから、ようやく口を開いた。「支度をなさい。女王さまが、お二人をお待ちです。粗相のないように」。その声には、これまでの民には見られなかった緊張の色が滲んでいた。

案内された謁見の間は、岩を穿って造られた広大な洞窟で、天井の裂け目から差し込む光の筋が、薄い帳の奥にたたずむ人影を淡く照らしていた。洞窟の壁には、無数の壁画が描かれており、そのどれもが、翼を広げるでもなく、ただ地に伏したまま長い胴を横たえる、巨大な生き物の姿を象っていた。ホリーはその壁画の前で思わず足を止めたが、案内役に促され、先を急ぐほかなかった。

帳が払われたとき、ホリーは思わず息を呑んだ。そこに立っていたのは、老いの気配など微塵もない、匂い立つような美しさをたたえた女だった。だがその双眸の奥には、若さには決してそぐわない、途方もない年月の重みが澱んでいた。まとう衣は簡素でありながら、幾重にも折り重なる薄絹が、身じろぎするたびに、まるで炎の揺らめきを思わせる陰影を作り出していた。

「ようやく、参ったか」

女はそう言って、まっすぐにレオを見据えた。声は静かだったが、洞窟の隅々にまで届く不思議な響きを持っていた。

「わたしの名はアイシャ。この谷を、そしてこの谷の底に眠るものを、二千年にわたり統べてきた者だ」

女王はレオの顔に、遠い過去の面影を見出したかのように、長い時間をかけて視線を這わせた。その眼差しには喜びと、抑えきれない渇望とが、同時ににじんでいた。指先がレオの頬に触れかけては、寸前で止まり、また触れかけては止まる。その仕草を幾度も繰り返す様は、二千年という歳月の重みを支えきれず、わずかにほころびた糸のようにも見えた。

「カリクレス――お前は、わたしがかつて愛し、そしてわたしの手で喪った者に、瓜二つだ」

「私はレオ・ヴィンシーです。カリクレスという名に、心当たりはありません」

「魂は姿を変えて巡り、いつか必ず戻ってくる。二千年、わたしはそう信じてこの谷で待ち続けた。お前の先祖に、この地を出ることを許したのも、いつか血を継ぐ者がここへ帰ってくると信じていたからだ」

女王は、自らの若さの秘密を隠そうとしなかった。谷の最奥、地の底に通じる祠に、「紅炎の柱」と呼ばれる炎が絶えず立ち昇っており、その炎に身を浸した者は、老いから解き放たれるのだという。女王自身、二千年前にただ一度その炎に身を投じて以来、時の流れから外れた存在として生き続けてきた。

「なぜ、その炎はそれほどの力を持つのですか」

ホリーが問うと、女王はわずかに目を細めた。

「知らぬ。知る必要もない。ただ、谷の底には遥か昔から何かが息づいており、その息吹が炎となって噴き上がる――それだけのことだ。民はそれを畏れ、崇め、名を口にすることさえ憚る。わたしは、その力を使うすべを知っているに過ぎぬ」

その返答には、どこか意図的な空々しさがあった。ホリーは、女王が知っていて語らないことがあるのではないか、という疑いを拭えなかった。壁画に描かれた巨大な生き物のことを尋ねようとしたが、女王はすでに興味を失ったように視線をレオへと戻し、それ以上の問いを許さぬ空気を漂わせていた。

「今宵は下がるがいい。だが、レオよ――お前だけは、明日もう一度わたしのもとへ参れ。二人だけで話したいことがある」

謁見を終えて宿営に戻ると、ウスターナの姿がなかった。夜が更けても戻らぬ彼女を案じてレオが谷を歩き回るうち、二人は祭壇のそばで、覆面を剥ぎ取られ、地に伏すウスターナを見つけた。息はあったが、まるで何か大きな力に押し潰されたかのように、身体中に打撲の痕が広がっていた。駆け寄ったレオが抱き起こすと、ウスターナはうっすらと目を開け、かすれた声を絞り出した。

「女王さまが……レオさまのそばに近づきすぎた、と……お許しください、わたしは、ただ……」

言葉はそこで途切れ、ウスターナは再び気を失った。レオの顔から血の気が引くのを、ホリーは見た。女王の慈愛にも似た微笑みの裏に潜む、圧倒的な非情さを、二人はこのとき初めて、はっきりと思い知らされたのだった。

四 うすれゆく息吹

ウスターナの手当てを済ませたその足で、ホリーは一人、谷の最奥へと向かった。女王に気取られぬよう、案内役の目を盗んで祠に忍び入ると、そこには噂に違わぬ紅い炎が、岩の裂け目から絶え間なく噴き上がっていた。熱気は肌を灼くほどでありながら、不思議と息苦しさはなく、むしろ深い呼吸を促すような、奇妙な清涼さすら漂わせていた。

だが炎をしばらく見つめるうち、ホリーはある異様な規則性に気がついた。炎は一定の間隔で、強く噴き上がってはわずかに弱まることを繰り返していた。その周期は、谷に足を踏み入れた日から聞こえ続けている、あの地の底の鼓動と、寸分違わず一致していた。祠の岩壁に手を当てると、指先に確かな脈動が伝わってきた。まるで、巨大な生き物の身体に触れているかのようだった。手のひらを通じて伝わるその律動は、力強くはあったが、どこか疲弊しきった老いた獣の息づかいにも似て、ホリーの胸に言い知れぬ痛ましさを呼び起こした。

祠の奥、炎の届かぬ暗がりに、ホリーは古い碑文を見つけた。谷の民の言葉とも、レオの陶片に刻まれていた古代文字とも異なる、さらに古い書体だった。持参した拓本の道具で写し取り、手元の資料と照らし合わせながら根気強く読み解くうち、ホリーの背筋を冷たいものが伝った。ランプの灯りだけを頼りに一文字一文字を辿るその作業は、夜が白み始めるまで続いた。

碑文はこう告げていた。「炎は竜の息吹なり。地の底に眠りし竜、その命の火を分け与えることあれど、与えるほどに竜自らは衰える。借りたる歳月は、いずれ竜のもとへ還るべきもの也。二度炎に浸る者、その日まで借りたる歳月すべてを、一夜にして返すことになるべし」

ホリーはようやく理解した。「下なるもの」とは、この谷の底に長く眠る一頭の竜そのものであり、女王が二千年にわたって保ってきた若さは、竜が身を削って分け与え続けてきた命の残り火に他ならなかった。地の底の鼓動が心なしか速さを増していたのは、竜が弱り、その命の灯が尽きかけていることの表れだったのだ。そして碑文が告げる最後の一節は、ホリーの胸に、はっきりとした不吉な予感を刻みつけた。

宿営へ戻ると、レオが思いつめた表情で待っていた。女王から、改めて呼び出しがあったという。目を覚ましたウスターナから真実を聞いた女王は、隠す様子もなく言い放ったのだった。

「わたしの目に留まった者に、無用の情を移すな。あの娘には、少しばかり身の程を教えてやったまでのこと」

そして女王は、レオに向き直り、これまでにない熱を帯びた声で告げた。

「カリクレス、いや、レオよ。お前が疑うのも無理はない。ならば、わたし自らこの身をもって証を立てよう。もう一度、あの炎に浸り、老いも死も寄せ付けぬことを、お前の目の前で示してみせる。そのうえで、お前もまたこの命に加われ。永遠を、共に生きるがいい」

その宣言に、谷の民は誰もが顔色を変えた。案内役の一人が、震える声でホリーに耳打ちした。

「かつて、二度炎に浸った者はおりません。女王さまとて、あれ以来一度も……」

言葉はそこで途切れたが、その先に続くはずだった不安が、ホリーの胸にも重くのしかかった。ホリーは急いで碑文の写しをレオに見せ、竜の正体と、二度目の炎がもたらすであろう帰結を説いて聞かせた。レオは黙って耳を傾けていたが、聞き終えると、静かに首を振った。

「止めよう。だが、俺たちの言葉で、あの女王が止まるとは思えない」

地の底の鼓動は、いよいよ乱れがちに、弱々しく響いていた。夜の帳が谷全体に降りるころ、その音はまるで、最後の力を振り絞るように、一際大きく谷を震わせた。

五 清算の夜

制止するホリーの声にも、女王は微笑みを崩さなかった。ホリーが碑文の写しを示し、二度目の炎がもたらす危うさを説いても、女王はただ、憐れむような目でそれを一瞥しただけだった。

「二千年、わたしはこの炎とともに生きてきた。恐れる理由がどこにある。お前たちのような、旅の学者ふぜいに解けるほど、この炎は浅いものではない」

夜更け、松明の列に守られ、女王は帳を払って祠へと降りていった。レオとホリーもまた、止めることかなわぬまま、その後を追った。狭い岩の道を進むにつれ、地の底の鼓動は肌にまで響くほど強まり、松明の灯りが幾度も大きく揺れた。ウスターナもまた、包帯の巻かれた身体を杖に支えられながら、一行の最後尾に付き従っていた。

岩壁を伝う脈動は、このとき異様なまでに大きく、まるで谷全体がひとつの心臓と化したかのようだった。炎の前に立った女王は、これまでに見せたことのない、ほとんど無邪気とも呼べる表情を浮かべていた。二千年の重みを湛えたその双眸に、初めて子供のような期待の光が宿るのを、ホリーは見た。

「見ているがいい、レオ。これが、わたしの二千年だ」

女王は迷いなく、紅い炎の中へと足を踏み入れた。

その瞬間、地の底から、これまでのどの鼓動よりも深く、低い震えが噴き上がった。祠の岩が軋み、松明の火という火が一斉に揺らいだ。それは怒りとも、悲鳴とも取れる響きだったが、同時に、長く堪えてきた重荷をようやく下ろすかのような、静かな吐息にも聞こえた。竜は、言葉を持たなかった。姿を見せることさえなかった。ただその震えひとつをもって、二千年分の刻(とき)を、一息に取り戻したのだった。

炎の中で、女王の輪郭が揺らいだ。若さを取り戻すどころか、なめらかだった肌に幾筋もの皺が走り、艶やかだった髪が瞬く間に白く枯れていく。女王は驚愕に目を見開き、助けを求めるようにレオへ手を伸ばしかけたが、その手はすでに、骨と皮ばかりの、干からびた老婆のものに変わり果てていた。

「なぜ……わたしは、いつも通りに、炎に……この身が、どうして……」

声はしわがれ、やがて言葉にならなくなった。女王の身体は見る間に縮み、崩れ、最後には乾いた灰となって、炎の前にほろほろと崩れ落ちた。誰も、手を差し伸べることができなかった。それはあまりにも静かで、あまりにも呆気ない終わり方だった。地の底の鼓動は、そこで初めて、穏やかに、しかし確かな力強さを取り戻して、ゆっくりと脈打ち始めた。竜が二千年ぶりに取り戻したものが何であったのか、ホリーにも、はっきりとした言葉では説明できなかった。

夜が明けても、谷の民は誰一人として悲しむ様子を見せなかった。ただ長年の重石が取れたように、どこか晴れやかな顔で祠を遠巻きに眺めているだけだった。かつて女王の使者を務めた白髪の老女だけが、灰の前にひざまずき、長い間、何かを呟き続けていた。それが祈りなのか、それとも安堵の言葉なのか、ホリーには判じかねた。ウスターナはまだ本調子ではなかったが、レオの手を借りて宿営の外へ出ると、地の底の穏やかな鼓動に、初めて安堵したように耳を澄ませていた。

「あの音は、もう恐ろしくありません」

ウスターナは小さくそう呟き、覆面越しにも分かるほど、静かな笑みを浮かべた。

谷を去る朝、ホリーは最後にもう一度、祠のそばに立った。炎は以前より小さく、しかし乱れなく、穏やかに燃え続けていた。竜の姿を、ホリーはついに一度も見ることがなかった。それでも、灰と化した女王の代わりに静かに脈打つその気配だけが、確かにそこにあり続けていた。

「借りたものは、いつか還さねばならない――碑文にはそう書かれていた」

歩き出しながら、ホリーはレオにそう告げた。レオは何も答えず、ただ谷の入口で一度だけ振り返った。裂け目の奥に、紅い光がかすかに揺れているのが見えた。それが竜の息吹なのか、あるいはただの残り火なのか、二人にはもはや判じようもなかった。

故郷へ向かう船の上で、ホリーは幾度も、この一件をどう書き記すべきか思い悩んだ。二千年の渇望とその果ての清算を、人はどれほど正しく語り継げるものだろうか。甲板に立つレオの背中は、旅立ちの日よりも幾分か大人びて見えた。ウスターナの言葉、女王の最期、そして一度も姿を見せなかった竜のこと――そのどれもが、簡単な結論には収まりそうになかった。ただ一つ、確かに言えることがあるとすれば――谷の底で息づくものは、復讐のためではなく、ただ静かに、自らの刻を取り戻しただけなのだということだった。ホリーは手記の最後に、そう書き添えて筆を置いた。

本作はH・ライダー・ハガード(1925年没)の『She』を参考にした作品です。原典