物語り
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·読了目安 14分脇役

竜は角を折られなかった

大地竜連邦テラフォート、坑道そのものが街となった「迷宮都市カルキノス」。角を持つ地竜を討って生還したという若者の伝承と、帰還の合図を見誤った父の死をめぐり、レイブンは討伐説と交渉説、誤認の責任をめぐる食い違う語りを併記したまま街を去る。

一、迷宮都市カルキノス、坑を下る道

大地竜連邦テラフォートの地図に、カルキノスという文字を見つけたとき、レイブンはその印が示す場所に奇妙な違和感を覚えた。街の輪郭を示す線が、地上ではなく地下に向かって幾重にも渦を巻いていたからだ。地図の余白には、几帳面な字で「坑道都市・住民総数不明」とだけ添え書きがあった。

実際に訪れてみると、違和感は正しかったのだと分かった。カルキノスは地表にほとんど建物を持たず、街そのものが巨大な坑道の連なりだった。崖の中腹に穿たれた大穴を入口として、幾百年にもわたって掘り継がれてきたらしい通路が、蟻の巣のように四方へ伸びている。石を削って作られた階段を下るたび、頭上からぶら下がる灯りが橙色に揺れ、壁に走る鶴嘴の痕が、まだ生々しく残っているのが見えた。

空気は地上よりも幾分重く、湿った土と、焼けた油の匂いが入り混じっていた。すれ違う住民たちは誰もが足取りに迷いがなく、暗がりの中でも躓くことなく歩を進めていく。地上の光をほとんど必要としない暮らしに慣れきっているのか、肌はどこか青白く乾いており、目だけが灯りを映して鈍く光って見えた。

「よそ者が、物好きにこんな所まで降りてくるとはね」

案内を頼んだ商人の女は、荷車の軋む音に負けないよう声を張って言った。女は名をネリアといい、地上と坑道の間を行き来して商いをしているのだという。

「地下深くまで、よくこれだけの道を掘り進めたものですね」

「深くまで掘るのには、理由があったのさ。鉱脈を追えば、おのずと深くなる。それに、この街の底には、角を持つ地竜さまが眠っておられるからね。坑を広げれば広げるほど、地竜さまに近づく。昔はそれを、恐ろしいこととして語り継いでいたらしいよ」

女はそう言うと、荷車を引く手を止めずに、通路の奥へ顎をしゃくった。奥には格子で封じられたような狭い坑口があり、周囲の壁だけが、他よりも丁寧に磨き上げられているのが見て取れた。灯りの数も心なしか少なく、その一角だけが、他の明るい通路から切り離されたように薄暗い。

レイブンが足を止めて見入っていると、女は少し急かすように先を促した。「あんまり覗き込むもんじゃないよ。昔は、あの奥に若い者を送り込む習わしがあったってね。今はもうしないけどさ」

「若い者を、ですか」

「地竜さまの機嫌を損ねないようにって話さ。詳しいことは、記録所のロディオ老に訊くといい。この街で一番、古い話に詳しい男だから」

女はそれだけ言うと、荷の重さを気にしてか、足早に先へと進んでしまった。レイブンはその後ろ姿を見送りながら、記録帳に短く書きつけた。「迷宮都市カルキノス。坑道そのものが街。地竜への生贄の習わし、現在は廃絶。格子の奥、磨かれた壁のみが異質で、灯りも乏しい」

坑道を更に下ると、広場のように開けた空間に出た。天井には鏃形の鉄骨が張られ、支柱の合間に小さな神殿がひとつ据えられている。祀られているのは、人の腕ほどもある、黄褐色に鈍く光る角の欠片だった。供花はなく、ただ乾いた果実の皮が幾つか、台座の隅に置かれているだけだった。香炉には灰が薄く積もり、長く火が入れられていないことを物語っていた。

神殿の脇で、粗末な外套を纏った老人が、長い木の杖に縋るように佇んでいた。目は神殿のさらに奥、崖の上に突き出た見張り台のような足場に向けられている。そこには誰もいないはずなのに、老人はまるで誰かの帰りを待つような姿勢で、じっと立ち尽くしていた。風もないはずの坑道の奥で、老人の外套の裾だけが、かすかに揺れているように見えた。

声をかけることは、ためらわれた。レイブンはただ、記録帳にその姿を書き留めるだけで、その場を後にした。遠ざかる背後から、乾いた咳のような声が、ひとつだけ聞こえた気がした。

広場を抜けた先の市場では、干した茸や、坑道の奥で採れるという苦みの強い根菜が、籠に山と積まれて売られていた。商人たちの声は地上の市場よりも抑えられ、どこか互いの距離を測りながら話しているように聞こえる。大地竜連邦テラフォートの旗を掲げた役人らしき一団が、帳面を片手に坑道の奥へ消えていくのを、レイブンは見かけた。連邦の中枢では、地竜を討つべき怪物としてではなく、縄張りを持つ隣人として扱う方針が取られていると、道中で聞き知っていた。だとすれば、この街に残る生贄の伝承は、連邦の方針とは相容れない、古い時代の記憶ということになる。

「あの役人たちは、何をしに来ているのですか」

通りがかった薬売りの老爺に尋ねると、老爺は帳面を睨むような視線を役人たちに向けた。

「迷宮の奥に地竜さまが本当にいるのかどうか、連邦が調べさせているのさ。もし本当にいるのなら、連邦の取り決めに従って、縄張りを侵さぬよう坑道の拡張を止めなければならん。街としては、迷惑な話だがね」

「街の人々は、調査をどう見ているのです」

「半々だろうね。本当にいてくれた方が、坑道の拡張をやめる口実になって助かるという者もいれば、いもしない怪物のために商売の邪魔をされてはかなわんという者もいる。儂はどちらでもいい。ただ、昔から言われてきたことが、役人の調べひとつで白黒つくとは、とても思えんがね」

老爺はそう言うと、根菜の値を値切りに来た客の相手を始め、それ以上は語らなかった。レイブンは記録帳に「連邦による調査、進行中。生贄の伝承、連邦の対竜方針とは相容れず。街の受け止め、割れている」と書き加えた。

二、記録係ロディオの語る、角を折った若者

記録所は、坑道の最も古い区画にあった。崩れかけた石積みの壁に、羊皮紙の束が所狭しと積まれ、机の上には年代ごとに束ねられた帳面が、埃を被りながらも几帳面に並べられている。ロディオと名乗る老人は、分厚い眼鏡の奥から、興味深げにレイブンを見つめた。

「記録を扱う者同士、話が合うと思っていたよ。何から訊きたいのかね」

「先ほど見かけた、角の欠片を祀る神殿について伺いたいのです。それと、見張り台で誰かを待つように立っていた老人のことも」

ロディオは表情を少し曇らせ、茶を一口含んでから、ゆっくりと語り始めた。

「カルキノスの最奥、迷宮と呼ばれる古い坑の奥に、角を持つ地竜さまが棲んでいる――そう伝えられてきた。地竜さまの機嫌を損ねれば、坑が崩れ、街そのものが地の底に呑まれる。それを恐れた昔の統治者は、毎年ひとり、若者を迷宮の奥へ送り込む習わしを定めたのだ。籤を引いて選ばれた者が、供物とともに格子の奥へ消えていく。それが、何代にもわたって続けられてきた」

「送り込まれた若者は、どうなったのですか」

「二度と戻らなかった、と伝わっている。迷宮は折れ曲がり分かれ、灯りを持たずに進めば、たちまち方角を見失う。たとえ地竜さまに出会わなかったとしても、飢えと渇きだけで命を落とした者も、少なくなかったろう」

ロディオはそう言って、羊皮紙の束から、一枚の古びた図面を取り出した。迷宮の構造を記したものらしく、通路は複雑に折れ曲がり、図面の端には小さな角の印が幾つも書き込まれていた。

「ただ、ある年にひとつだけ例外があった。よそ者の若者がこの街に流れ着いた。名はケイルース。生まれも身分も定かでないが、腕は立ち、度胸もある男だったという。その年、籤で選ばれた娘が怯えきっているのを見かねたのか、自ら身代わりを志願し、迷宮に挑むことになった」

「なぜ、見ず知らずの娘のために、そこまで」

「色々な言い伝えがある。単に義侠心からだったという者もいれば、当時の統治者の娘、ミラという女性が、ケイルースに密かに心を寄せていたからだという者もいる。ミラ自身は生贄の習わしを止める力を持たなかったが、代わりに、坑の奥深くで採れるという発光する鉱石の欠片を、誰にも知られぬようケイルースへ渡した。迷宮の闇の中でも、その光だけは消えないと言われていてね」

「光る鉱石が、道しるべになったのですね」

「そうだ。ケイルースは鉱石の光を頼りに、幾日も迷宮の奥へ進んだ。途中、幾度も道を誤りかけたが、そのたびに鉱石が、かすかに温かみを帯びて正しい道を示したとも伝わっている。そしてついに、最奥で角を持つ地竜さまと対峙し、死闘の末にその角を一本、折り取って生きて戻ってきたという。折れた角こそ、お前さんが見た神殿の欠片そのものだ」

ロディオはそこで一度言葉を切り、茶碗を置いた。その所作には、これまでの朗々とした語りとは異なる、わずかな躊躇いが滲んでいた。

「しかし、この話には、もうひと幕あってね。生きて帰るその日のためにと、ケイルースは娘に約束していた。迷宮の入口――あの見張り台から見える坑口に、生還の証として赤い灯りを掲げる、と。もし赤でなければ、それは己が命を落とした証だと」

「赤い灯りが、生還の合図だったのですね」

「その通りだ。だが約束の日、見張り台で待っていたケイルースの父親――息子を追ってこの街まで流れてきていたという男は、掲げられた灯りの色を見誤り、息子が死んだと思い込んでしまった。絶望のあまり、その場から身を投げてしまったのだ」

静かな記録所に、しばらく沈黙が落ちた。レイブンは、神殿の脇で見張り台を見つめ続けていた老人の姿を思い出した。

「あの老人は、その父親なのですか」

「いや、あれは父親の霊を今も見るという、別の老人だよ。もう何代も前の出来事のはずなのに、この街では未だに、見張り台で誰かを待つ者が現れると言われている。灯りの色を見間違えるな、というのが、カルキノスの子供たちへの、最初の戒めになっているほどだ」

ロディオはそう言うと、羊皮紙を丁寧に巻き直し、それ以上は語らなかった。窓の代わりに穿たれた明かり取りの穴から、乾いた風が一筋、記録所の中を通り抜けていった。

三、灯りの色と、語られぬ事情

翌日、レイブンは見張り台へ足を運んだ。崖の足場から見下ろす坑口は、思いのほか小さく、そこに掲げられるはずの灯りの色を見誤ることなど、果たしてあり得るのかと、レイブンは首を傾げた。崖下までの距離は決して近くはないが、赤と他の色を取り違えるほどとは思えない。

見張り台の下、洗濯物を干していた中年の女に話を聞くと、女は手を止めて、崖の下を見やった。名をシェラといい、代々この界隈に住む家の者だという。

「あの灯りの件、いろんな言い方があるのよ。赤を掲げるはずだったのに青を掲げてしまった、って言う人もいれば、灯りそのものは正しかったけど、油が切れて消えかけて見分けがつかなかった、って言う人もいる」

「どちらが本当なのでしょうか」

「さあね。あたしの婆ちゃんは、ケイルースさんが迷宮から出てきたとき、傷だらけでほとんど目も見えないような状態だったって言ってたよ。だから灯りを掲げる手が震えて、掲げる位置からずれてしまったんじゃないか、ってね」

女はそう言うと、乾いた布を取り込みながら、少し声を落とした。

「でも、あたしが本当に不思議なのは、そこじゃないんだ。父親は、どうしてあの日に限って、たった一人で見張り台にいたんだろうって。息子の無事を待つなら、仲間と一緒に待てばいいのに」

「一人だった、というのは確かなことですか」

「婆ちゃんがそう言ってた。誰かが付き添っていれば、灯りの色を見誤ったとしても、すぐに訂正できたはずなのに、って。父親は息子が迷宮に挑むことに、最初から強く反対していたらしくてね。見ず知らずの娘のために命を懸けるなど、親として許せることではないと、方々で言い触らしていたという話も残っている。だから誰も、一緒に待とうとは言い出せなかったんだとか」

レイブンは記録帳に書き留めた。「灯りの誤認説、複数。油切れ説、手の震え説。父親、独りで待っていた事情。反対していたゆえ、同行者なし」

話を聞き終えたあと、レイブンはふと、ミラという統治者の娘の血筋が、今も街のどこかに続いているのではないかと思い至った。シェラに尋ねると、女は意外そうに眉を上げた。

「ミラ様の血筋かい。今の記録所の裏手に、小さな祠を守っている一族があるよ。もう統治の座を退いて久しいけれど、祠の守りだけは代々続けているとか」

教えられた通りに祠を訪ねると、年若い娘が一人、水差しを手に供物を整えているところだった。娘は家系に伝わる話として、ミラが生涯、ケイルースの身を案じ続けたこと、そして父親の死を知ったのちは、二度と赤い灯りについて語ろうとしなかったことを教えてくれた。

「ミラ様は、灯りの色を見誤ったのが本当に父親の落ち度だったのか、それとも自分たちが約束の仕組みを誤って伝えたせいだったのか、最後まで分からずじまいだったと聞いています。だからこそ、祠を絶やさず守り続けよ、と言い遺されたのだとか」

その言葉は、レイブンの記録帳に、新たな一行として書き加えられた。「ミラの血筋、現存。灯りの誤りの責任、統治者側にもあったかもしれぬとの含み。確証なし」

祠を辞した帰り道、レイブンは記録所の前で、シェラとは別の老人に呼び止められた。名乗らないまま、老人は唐突に話しかけてきた。

「さっきの娘の話を、鵜呑みにしちゃあいかんよ。灯りの取り決めに不備があっただなんぞ、ミラ様の血筋がそう言い遺したのだとしたら、それは己の先祖の落ち度を、少しでも軽くしたかっただけのことかもしれん」

「では、あなたはどうお考えなのですか」

「儂の家に伝わる話では、灯りはちゃんと赤だったという。ただ、父親は最初から、息子が生きて帰ることを望んでいなかったのだ、と聞いておる。見ず知らずの娘のために命を懸けるような息子を、誇りに思うどころか、恥だと感じていた節がある、とな。だから、たとえ正しい色の灯りを見たとしても、あの男は、見なかったことにしたのかもしれん」

老人はそれだけ言うと、杖を鳴らしながら足早に去っていった。レイブンはその場に立ち尽くし、今しがた聞いた話を記録帳に書き加えた。「第三の説、父親自身の意思による見誤りの可能性。真偽は不明。語る者の立場により、責任の所在が異なって語られる」

同じ出来事について、これほどまでに異なる物語が、矛盾したまま同じ街の中に息づいている。レイブンはそのことに、かすかな眩暈にも似た感覚を覚えながら、次の訪問先である迷宮の入口へと足を向けた。

四、迷宮の最奥、確かめ得ぬ唸り

ロディオの紹介で、レイブンは迷宮の奥まで案内を得た鉱夫の一人に伴われ、格子の奥へ足を踏み入れることを許された。灯りを掲げて進む通路は、老鉱夫の言葉通り、鉱脈を追うように幾度も折れ曲がり、壁には古い鶴嘴の跡と、比較的新しい支保材の跡が入り混じっていた。

「迷宮、迷宮と呼ぶがね、あれはもともと、古い採掘坑だったんじゃないかと、儂は思っておる」

道すがら、案内の鉱夫――老人で名をガロという――はそう言って肩をすくめた。

「地竜さまの棲み処ではなく、ですか」

「坑道ってのは、掘るほどに複雑に折れ曲がるものでな。鉱脈を追って掘り進めば、おのずと迷路のようになる。誰かが『迷宮』と名付けたのが先で、地竜さまの伝承は後から付け加えられたんじゃないかとね。もっとも、こんな話、神殿の神官様には口が裂けても言えんがね」

ガロはそう言って、乾いた笑い声を立てた。レイブンが神殿に祀られる角の欠片について尋ねると、男は肩をすくめた。

「ああいう色をした鉱石は、この坑のもっと深い層でも時々採れる。角だと信じれば角に見えるし、ただの鉱石の塊だと思えば、そうも見える。儂は、どちらとも決めかねておるよ」

「この辺りから先は、儂らもあまり入らんのです」

やがてガロはそう言って足を止めた。その先、通路はひときわ広い空洞に繋がっており、天井からは水滴が絶え間なく滴り落ちていた。空洞の奥、闇の濃い一角から、低い唸りのような音が、確かに響いてくるのをレイブンは聞いた。長く尾を引くその音は、獣の唸りにも、風が岩の隙間を抜ける音にも聞こえた。

「あれが、地竜さまの唸り声だと」

「そう言い伝えられております。ただ、儂の見るところ、あれは地下水脈が岩盤を削る音にも似ておりましてね。どちらとも、判じがたいのです」

空洞の奥の岩肌に、レイブンは一筋の深い亀裂を見つけた。亀裂の縁には、何かの爪で引っ掻いたような跡が幾重にも残っている。だがそれが、生きた地竜によるものか、あるいは落石や岩の収縮によって生じた自然の裂け目なのか、確かめる手立てはなかった。灯りを近づけると、亀裂の奥からひやりとした風が吹き返してきた。

「もし本当に地竜さまがいるのなら、ケイルースという男は、本当に角を折って討ち果たしたのでしょうか」

ガロは、灯りを亀裂に向けながら、しばらく考え込んだ。

「儂の祖父は、別の言い方を伝えておりました。ケイルースさんは地竜さまを殺めたのではなく、言葉を交わして角を一本譲り受けたのだ、と。生贄の習わしをやめさせる代わりに、角を一本、地上の証として持ち帰ることを、地竜さまご自身が許したのだ、という話です」

「交渉によるものだった、ということですか」

「はい。もしそうなら、迷宮の奥に今も何かが生きていて、唸り声を上げているとしても、何の不思議もありません。討たれたのではなく、今も変わらずそこにいるだけなのですから」

レイブンは亀裂を見つめながら、記録帳に書きつけた。「討伐説と交渉説、併存。唸り声、地竜か地下水脈か判じ得ず。角、分捕られたか譲られたか不明」

空洞を後にする道中、レイブンは支保材に刻まれた古い印を見つけた。印は、神殿に祀られる角の図案と、驚くほどよく似た形をしていた。それが偶然の一致か、意図して似せられたものかは、ガロにも分からないという。

「もしこの迷宮が、もとはただの採掘坑だったとしても、地竜さまの伝承と、この印とが、いつの間にか結びついてしまったのかもしれませんね」

ガロはそう呟くと、それ以上は語らず、灯りを掲げて坑口への道を戻り始めた。帰路、レイブンはもう一度だけ振り返り、闇の奥から響き続ける低い唸りに耳を澄ませたが、やはりその正体を見極めることはできなかった。

五、二つの記録を抱えて、地上へ

地上に戻ったレイブンは、最後にもう一度、見張り台を訪れた。崖の下に広がる坑口は、夕暮れの薄明かりの中で、ただの黒い穴にしか見えなかった。かつてここに赤い灯りが掲げられ、ある父親がその色を見誤って命を落としたという出来事があったことを、知らなければ、誰も気づかないだろう。

記録所に戻り、レイブンはロディオに別れを告げた。老人は羊皮紙の束をひとつ手に取り、静かに言った。

「結局、角を持つ地竜さまが討たれたのか、今も迷宮の奥に生きているのか。ケイルースという男が本当に戦ったのか、交渉しただけだったのか。お前さんも、確かめきれなかったようだね」

「はい。亀裂も唸り声も、地竜さまのものかもしれず、ただの地中の現象かもしれません。灯りの見誤りについても、油が切れていたとも、手が震えていたとも、あるいは統治者側の取り決めに不備があったとも言われ、どれが真実か、決める手立てがありませんでした」

「それでいいのだと、儂は思うよ。この街の誰も、本当のところを知らないまま、何代も語り継いできたのだからな」

レイブンは記録帳を開き、最後の頁に書き記した。「迷宮都市カルキノス。角持つ地竜の伝承、討伐説と交渉説が併存し決着せず。迷宮、地竜の棲み処か古い採掘坑かも判じ得ず。生贄の身代わりとなった若者ケイルース、角を得て帰還。帰還の合図となる灯りの色を、父親が見誤ったか、油切れか、手の震えか、取り決めの不備か――理由は定かでないまま、父親は見張り台から身を投げて落命。地竜の真偽とは関わりなく、この一点だけは動かぬ悲劇として記録に残す」

街を出る前に、レイブンは神殿に立ち寄り、角の欠片に向かって短く頭を下げた。それが討伐の証であれ、交渉の証であれ、譲り受けた信頼の証であれ、長い年月のあいだ、この街の人々が何かを鎮めるためにそこへ置き続けてきたという事実だけは、疑う余地がなかった。祠を守る娘の姿も、見張り台でなおも誰かを待つ老人の姿も、同じひとつの悲しみから生まれた異なる形の祈りなのかもしれない、とレイブンは思った。

坑道を抜け、崖の上に出ると、夕陽が地平線に沈みかけていた。振り返ると、カルキノスの坑口は既に闇に沈み、そこから何者かの唸り声が響いているのか、ただ風が吹き抜けているだけなのか、もはや聞き分けることはできなかった。

レイブンは記録帳を懐にしまい、次の土地へ向かう道を歩き出した。背後で、見張り台に立つ誰かの影が、まだそこに佇んでいるような気がしたが、振り返ることはしなかった。確かめ得ないものを確かめようとすることもまた、このカルキノスという街そのものが、長い年月をかけて学んできた戒めなのかもしれない、とレイブンは思った。

本作は作者不詳(古代ギリシアの口承神話・古典に集成)の『テセウスとミノタウロス伝説(ギリシア神話・アポロドーロス『ビブリオテーケー』等に集成された英雄伝説)』を参考にした作品です。原典