物語雳
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·読了目安 15分悪役

竜は忘れられた誓いを赦さなかった

建国の代から城と盟約を結んできた竜は、代替わりのうちに宮廷の記録から忘れ去られ、王女誕生の祝宴にも招かれなかった。蔑ろにされた竜は温情を挟まず百年の眠りの呪いをかける。解いたのは王子の口づけでなく、盟約を思い出し詫びた書庫番の末裔だった。

一 忘れられた盟約

ヴァレンクール城は、切り立った岩尾根の上に築かれた古い城だった。初代国王ユーグ一世がこの地に礎石を置いたとき、麓から尾根の全てを治めていたのは、人ではなく一頭の竜だったと伝えられている。ユーグ一世は力ずくで竜を追わず、代わりに一つの盟約を交わした。この地に城を築くことを竜が許す代わりに、城の主は毎年の生誕祭――一族の誕生を祝う年に一度の宴――に必ず竜を上座に招き、敬意を表し続けるというものだった。

盟約の証として、竜は一つの銀の鈴を初代国王に授けたという。宴の日、その鈴を尾根に向かって鳴らせば、竜はその音を合図に城へ降り立ち、上座に着く。人と竜との間に交わされた、たった一つの約束だった。

けれど約束というものは、守られている間は誰の目にも留まらず、破られて初めてその重みを知られる。ユーグ一世の代から数えて七代、八代と王位が受け継がれるうちに、鈴は宝物庫の奥にしまわれたまま埃をかぶり、盟約の文言は分厚い年代記の片隅に埋もれていった。竜を招くという儀礼は、いつしか「毎年の生誕祭には古き符牒を鳴らすべし」という、意味の擦り切れた慣習の一文にまで縮んでしまっていた。

城の書庫の奥、日の差さない石壁の一角に、リゼットは祖父バルテルミーとともに暮らしていた。バルテルミーは代々この城に仕える書庫番の家系の末で、王家の記録という記録を誰よりも正確に諳んじることができる老人だった。リゼットは物心つく前から、祖父の膝の上で古い羊皮紙の匂いを嗅ぎながら育った。他の娘たちが刺繍や舞踏を習う年頃になっても、リゼットはひとり書庫にこもり、色褪せたインクの筆跡を追うことに飽きることがなかった。

書庫の窓からは、城下町の甍と、その向こうに連なる北の峰々が見渡せた。峰の一つは他のどれよりも険しく、常に雲を纏っていて、麓の者たちはそれを「竜の峰」と呼び習わしていたが、その名の由来を正しく語れる者は、もう城下のどこにも残っていなかった。リゼットは筆写の合間、ふとその峰を見上げては、なぜあの山にだけそんな名がついたのかと、子どもらしい素朴な疑問を抱くことがあった。祖父に尋ねても、「さてな、昔からそう呼ばれておる」という曖昧な答えが返ってくるばかりで、それ以上の由来を知る者は誰もいなかった。

その年の春、長らく子に恵まれなかった国王ゴーティエと王妃イザベルに、待望の王女が生まれた。名はオーロール。夜明けを意味するその名の通り、城中が久方ぶりの慶事に沸き立った。生誕祭の支度は、例年とは比べ物にならない規模で進められ、諸侯や近隣諸国の使者までが招かれることになった。

祝宴の招待名簿を整えるよう命じられたバルテルミーは、古い年代記を紐解くうち、ふと一枚の羊皮紙に目を留めた。そこには色褪せた文字で、「生誕祭には必ず竜を上座に招くべし。さもなくば、この地に平穏はなし」と記されていた。

「祖父様、これは……」

リゼットが覗き込むと、バルテルミーは眉根を寄せたまま、しばらく黙り込んでいた。

「古い言い伝えだ。初代様の御代に交わされたという、竜との盟約の写しらしい。だが、こんなものを今さら宮廷に上げたところで、誰が真面目に取り合うものか」

「でも、書かれている通りにするだけなら、そう難しいことでもないのでは」

「難しくはない。だが、な」バルテルミーは羊皮紙を丁寧に巻き戻しながら、諦めにも似た溜息をついた。「この城で竜の話をまともに扱う者など、もう誰もおらぬのだ。宝物庫に鈴があるという話すら、今の宮廷官には眉唾物として扱われている。わしのような年寄りが言い出しても、老いぼれの世迷い言で終わりだろうよ」

それでもリゼットの胸には、その一文が小さな棘のように刺さったまま抜けなかった。祝宴が近づくにつれ、城のどこからも浮かれた楽の音が響いてくるようになったが、リゼットだけは、誰にも顧みられぬまま宝物庫の奥で眠り続けているであろう銀の鈴のことを、ふとした折に思い出さずにはいられなかった。

ある夕暮れ、リゼットは思い切って宝物庫の管理を任された老女官に、鈴のことを尋ねてみたことがある。女官は帳簿から顔を上げもせずに、「ああ、あの古ぼけた鈴なら奥の棚にあるはずだよ。もう百年は鳴らされていないだろうね」と気のない返事をよこしただけだった。誰も鈴の在り処を隠してなどいない。ただ、誰もその音を思い出そうとしないだけなのだ――リゼットはその時、そのことの方がよほど恐ろしいのではないかと感じた。祖父の言葉通り、この城では、竜という存在そのものが、忘れられることをすでに許されてしまっていた。

二 招かれざる祝宴

生誕祭の当日、大広間には国中の華やかさが集められていた。金糸の垂れ幕が壁を飾り、諸侯の贈り物が長机に並び、楽団の奏でる旋律が高い天井にこだましていた。国王ゴーティエは、待ちわびた我が子を腕に抱き、集った客人一人ひとりに祝福の言葉を受けていた。

バルテルミーは末席から、その光景を複雑な面持ちで見つめていた。招待名簿の作成にあたり、彼は一度だけ侍従長に古い盟約のことを進言してみたのだが、「古い迷信話で祝いの席を穢すつもりか」と一笑に付されて終わっていた。宝物庫の鈴は、結局その日も誰の手にも取られることなく、暗い棚の奥に沈黙したままだった。

宴もたけなわとなった頃、大広間の窓という窓が、示し合わせたように音もなく開いた。冷たい風が蝋燭の炎を一斉に揺らし、楽団の旋律が不揃いに乱れて止んだ。招かれた誰もが、その風に何かただならぬものを感じ取り、杯を持つ手を止めて顔を見合わせた。客人たちがざわめきながら振り返る先、開け放たれた大扉の向こうに、灰褐色の鱗を持つ巨大な竜が、翼を折り畳んだ姿で佇んでいた。松明の炎に照らされたその輪郭だけで、広間の空気が一段冷たく沈むのが分かった。

「招かれざる客とは、我のことか」

竜の声は静かだったが、大広間の隅々にまで届く重みを持っていた。国王ゴーティエは腕の中の娘を庇うように抱き直しながら、震える声で誰何した。

「そなたは、一体……」

「初代ユーグと盟約を結んだ者だ」竜はゆっくりと大広間を進みながら、続けた。「この城が築かれて幾百年、我は一度たりとも約定を違えたことはない。だが、そなたたちの誰一人として、我を上座に招こうとはしなかったな」

居並ぶ諸侯の間に、恐怖と困惑の入り混じったどよめきが走った。国王は青ざめた顔で言葉を探したが、何を言っても言い訳にしかならないことは、自身が一番よく分かっていた。

「知らなんだのだ……そのような盟約があったことすら、我らは」

「知らぬことは、破ってよい理由にはならぬ」竜の金色の瞳が、王の腕の中の赤子に向けられた。「この城の礎はそなたたちの誇りだけで築かれたのではない。我が力を貸したその代償として、たった一つ、敬意を払い続けるという約束を求めたのみだ。その約束さえ、代を重ねるうちに紙切れの染みほどの価値もないものへと変えたのは、他ならぬそなたたちだ」

バルテルミーは末席で立ち上がりかけたが、声を発する前に喉が凍りついたように動かなくなった。隣に控えていたリゼットが、思わずその袖を強く握りしめた。あの羊皮紙を見つけた日から、いつかこうなるのではないかと、心のどこかで恐れていた光景だった。声を上げなければ、と思う端から、広間を満たす重苦しい沈黙が、リゼットの喉をも縫い付けていた。

諸侯の一人が、たまらず腰の剣に手をかけようとしたが、竜がわずかに首を巡らせただけで、その手は震えを帯びて剣から離れた。抗おうとする気概すら、竜の一瞥の前では意味を成さなかった。

竜はしばし赤子を見つめた後、静かに告げた。

「情けをかけて済む段はとうに過ぎた。この娘は十六の誕生日、忘れられた鈴に触れたその時、百年の眠りに落ちるであろう。城もろとも、その眠りに引きずり込まれるがよい。忘れられた約束の重みを、その身で思い知るまで」

若い妖精が呪いを和らげるような救いは、この場のどこにも訪れなかった。国王が跪いて許しを乞う暇もなく、竜は翼を大きく広げると、来た時と同じ静けさで夜の中へと去っていった。

宴の余韻は瞬く間に消え失せ、代わりに広間を満たしたのは重苦しい沈黙だった。国王はその夜のうちに、宝物庫から件の銀の鈴を運び出させ、二度と誰の目にも触れぬよう、城の最も奥まった塔の一室に封じるよう命じた。だが、それが呪いを解く手立てにはならないことを、誰もが薄々察していた。

三 鈴が鳴る日

その夜以来、バルテルミーは日々の務めの傍ら、盟約について記された古い記録を、手当たり次第に集めては読み解くようになった。竜が何を求めていたのか、なぜ代々の王がその重みを忘れていったのか。答えを見つけたところで呪いが解けるわけではないと分かっていても、老いた書庫番はそれを調べ続けることをやめられなかった。

「祖父様は、竜を恨んでおいでですか」

ある晩、燭台の灯りの下で古文書を写す祖父の背に、リゼットはそう尋ねたことがある。バルテルミーは筆を止め、しばらく考えてから答えた。

「恨む気持ちがないと言えば嘘になる。だが、非があったのはどちらだと問われれば、それはわしらの方だろう。約束を交わした側が、その約束を忘れてよい理由など、どこにもないのだからな」

その言葉は、リゼットの中に深く根を下ろした。彼女はそれから幾年もの間、暇を見つけては書庫にこもり、盟約にまつわるあらゆる記述を写し取り、注釈を加えていった。誰に命じられたわけでもない、いわば独りだけの贖罪のような作業だった。竜の名も、素性も、記録のどこにも残されてはいなかったが、リゼットは調べを重ねるうちに、いつしかその存在を、遠い異形の怪物としてではなく、裏切られ続けた一人の律儀な隣人として思い描くようになっていた。

王女オーロールは、そうした城の暗い記憶をよそに、すくすくと育っていった。国王夫妻は呪いを恐れるあまり、城じゅうの針や紡錘はもとより、鈴という鈴を残らず取り除かせ、王女の周りから金属の音を鳴らすものを徹底して遠ざけた。それでもなお、封じられた塔の奥では、あの銀の鈴だけが誰にも見つからぬまま、静かに時を待ち続けていた。

オーロールは利発で、好奇心の強い娘に育った。城の奥にある禁じられた区画の噂を耳にするたび、乳母の目を盗んでは探検に出かけようとし、そのたびに女官たちを慌てさせた。だが誰一人として、その禁忌の正体を彼女に語ろうとはしなかった。呪いのことは国の恥として、宮廷内でさえ口にすることが憚られていたからだ。オーロール自身は、自分の誕生を境に城の空気がどこかぎこちなくなったことを、幼心にぼんやりと感じ取っていたが、それが何に由来するのかを知る術はなかった。

リゼットは、書庫の窓から見える王女の遊ぶ姿を、幾度となく遠目に眺めた。同じ城に暮らしながら、身分の差ゆえに言葉を交わす機会はほとんどなかったが、屈託なく笑うその横顔を見るたび、リゼットの胸には、いつか訪れるであろう十六の誕生日への、言いようのない不安がよぎった。

バルテルミーは、オーロールが十歳になる頃に静かに世を去った。死の床で、彼はリゼットの手を取り、書き溜めた注釈の束を託した。

「わしにはもう時間が足りぬ。だが、いつかこの城に、詫びる言葉を届けられる者が現れるとしたら、それはきっと、この記録を正しく読み解いた者のはずだ。お前がそれを、次の誰かに繋いでおくれ」

リゼットはその約束を胸に、生涯を書庫の奥で過ごした。夫を娶り子をなしてもなお、盟約の記録を整理し続け、娘に、そしてその娘の娘へと、書庫番の務めとともにその由来を語り継いでいった。

オーロールが十六になった年の誕生日、城では祝いの支度が静かに進められていた。呪いへの恐れから大々的な宴こそ避けられていたが、それでも王女自身は、その日ばかりはと城内を歩き回ることを許されていた。好奇心の強い娘に育ったオーロールは、日頃は立ち入りを禁じられている塔の階段を、女官の目を盗んでこっそりと登っていった。

階段は蜘蛛の巣に覆われ、踏み板は軋み、上るごとに冷たい風が吹き下ろしてきた。それでもオーロールの足は止まらなかった。開かずの間として長らく施錠されていたはずのその扉が、今日に限って、まるで彼女を招き入れるように、わずかに開いていた。

塔の最上階、埃をかぶった長持の中で、オーロールは小さな銀の鈴を見つけた。窓から差し込む夕日を受けて、鈴の表面だけが、周囲の埃をものともせず鈍く輝いていた。誰も鳴らしたことのない、けれど不思議と美しい音を秘めていそうなその鈴に、彼女は吸い寄せられるように手を伸ばした。

指先が触れた瞬間、鈴は誰の手も借りずに、澄んだ音を一つ、静かに響かせた。

その音を最後に、オーロールはその場に崩れるように眠りに落ちた。城中の時計という時計が同時に針を止め、厨房の炎は音もなく消え、衛兵も女官も、手にした仕事の途中のまま、その場に深い眠りに沈んでいった。城の周りには見る間に鋭い茨が這い上り、幾重にも重なり合いながら、城全体を覆い隠していった。

四 百年後の書庫

百年の後、茨に覆われたヴァレンクール城の噂は、遠い異国の御伽噺として語られる程度にまで薄れていた。だが茨の外の世界では、時は止まることなく流れ続けていた。かつてバルテルミーの記録を受け継いだ書庫番の家系は、幾世代を経て、麓の町で細々と代書屋を営む一族へと姿を変えていた。

エロディはその末裔だった。リゼットから数えて四代目にあたる彼女は、代書屋の店先で日々、村人たちの手紙や証文を書き写しながら暮らしていた。書庫番という家業は、城が茨に閉ざされて以来、意味を失って久しかったが、それでも一族の誰かが、代々の記録だけは手放さずに守り続けてきた。エロディ自身、幼い頃からその古い紙の束の意味を深く考えたことはなかった。ただ、母がそれを何よりも大切に扱っていたことだけを、なんとなく覚えていた。

その母が流行病で急逝した年の冬、エロディは形見の品を整理するうち、見慣れぬ革表紙の帳面を見つけた。表紙には色褪せた文字で「盟約について」とだけ記されていた。

中を開くと、そこにはリゼットの筆による覚書と、竜の来歴に関する丹念な考証、そして代々の書庫番が書き足してきた注釈がびっしりと連なっていた。エロディは寝食を忘れてそれを読み耽った。読み進めるうち、彼女はある一節に目を留めた。それは、盟約の存在が宮廷の記録から消えていった経緯についての、リゼットの晩年の考証だった。

そこには、盟約が単に「忘れられた」のではなく、ある代の宰相が、竜の後ろ盾なしに人の力だけでこの国が築かれたのだという物語を広めるため、意図的に年代記からその記述を削らせていた形跡がある、と記されていた。歴代の王たちの多くは、悪意からではなく、ただそう教えられたままに竜の存在を軽んじていたに過ぎなかった。裏切りは代々の王の怠慢ではなく、たった一人の傲慢な宰相の企みから始まっていたのだ。

エロディは帳面を閉じ、長い間、窓の外に見える遠い茨の丘を見つめていた。この百年、幾人もの物好きな王子や騎士が、あの茨を斬り開こうと挑んでは、力尽きて姿を消していったという。誰もが剣を携え、茨を斬り、竜を討とうとしていた。だが、リゼットの記録が示す答えは、剣でも、口づけでもなかった。

「詫びる言葉を、正しく届けられる者が現れるとしたら――それはきっと、この記録を読み解いた者のはずだ」

祖先の言葉が、まるで今しがた語られたかのように、エロディの耳に蘇った。彼女は帳面と、その中に写し取られていた盟約の原文とを胸に抱き、誰にも告げぬまま、たった一人で旅支度を始めた。

町の者たちは、武器も持たずに茨の城へ向かう娘を、正気を疑うような目で見送った。「剣も持たずに何をしに行くつもりだ」と呆れ顔で問う隣人に、エロディはただ、「持っていくべきものは、もう決まっているので」とだけ答えた。彼女の手には剣の代わりに、百年分の詫びの言葉が記された、一冊の古い帳面があった。

五 詫びを聞き届ける竜

茨の丘は、遠目に見るよりもはるかに深く、鋭かった。だがエロディが足を踏み入れると、それまで幾多の剣を跳ね返してきたはずの茨は、まるで彼女の来訪をどこかで承知していたかのように、行く手からするりと道を譲った。

眠りに沈む城の中は、百年前のその瞬間のまま止まっていた。埃をかぶった玉座の間には誰もおらず、王女オーロールも、遠く塔の一室で静かな寝息を立てているだけだった。エロディはその光景に立ち止まりたい衝動を抑え、帳面の記述を頼りに、竜が棲むとされる北の峰へと足を向けた。

峰へ続く道は険しく、風は氷のように冷たかった。日が傾くにつれ空は茜色から紫へと沈み、麓に広がる茨の城が、遠く小さな影となって見下ろせた。息を切らしながら岩肌を登り続けたエロディは、幾度も足を滑らせかけたが、そのたびに帳面を強く胸に抱き直し、再び前を向いた。

峰の頂で、竜は待っていたかのように、岩の上にその身を横たえていた。百年前と変わらぬ灰褐色の鱗が、夕暮れの光を鈍く弾いていた。エロディが近づくと、竜はゆっくりと頭をもたげ、値踏みするような目でその姿を見た。

「また一人、剣を持たぬ愚か者が迷い込んだか」

「剣を持ってきたのではありません」エロディは震える声を叱咤しながら、帳面を両手で掲げた。「わたしは、この盟約を届けに来ました」

竜の金色の瞳が、わずかに細められた。

「その帳面がなんだというのだ。この百年、詫びの言葉を語りに来た者なら、幾人もいた。皆、口先だけの謝罪を並べ、我が機嫌を取り、姫を救い出すことしか考えてはいなかった」

「わたしの祖先も、その一人に数えられるのかもしれません」エロディは怯まずに続けた。「ですが、この帳面には、詫びの言葉だけでなく、忘れられた理由が記されています。あなたを軽んじたのは代々の王ではなく、たった一人の宰相の企みだったこと。そして、その企みに気づいてなお何もできなかった、わたしの祖先の悔いも」

彼女は帳面を開き、盟約の原文を、震える声で読み上げ始めた。ユーグ一世が交わした約束の一言一句。それが幾代を経て軽んじられていった経緯。そして最後に、リゼットが晩年に書き記した一文――「詫びるべきは、忘れたことそのものではなく、忘れたままにしてよいと思い込んだ、その怠惰にある」。

読み終えたとき、峰には長い沈黙が満ちていた。竜は身じろぎもせず、ただエロディの声の残響を確かめるように、目を閉じていた。

「……その帳面は、誰に読ませるつもりで書かれたものだ」

「分かりません」エロディは正直に答えた。「祖先はただ、いつか正しくあなたに届く日を信じて、書き続けていたのだと思います。宮廷に披露するためでも、褒美をねだるためでもなく」

竜は長い間、何も言わなかった。

「愛の力でこの呪いが解けると思っていたなら、お前は無駄足を踏んだことになる」竜はやがて、低く告げた。「我が求めていたのは、口づけでも、涙でもない。ただ一つ、忘れられた約束を、忘れられたままにしてはおかぬという、その意志だけだ」

竜はゆっくりと身を起こすと、峰の向こうへ顔を向けた。

「城の眠りは、じきに解けるだろう。忘れられていた盟約が、正しく思い出された以上、我にこれ以上の呪いを続ける理由はない」

「城まで、共に来ていただけないのですか」エロディは思わず問うた。「玉座の間で、皆にあなたの言葉を聞かせてやっては……」

「必要はない」竜の声に、初めて微かな翳りが差した。「我はもう、誰かの上座に座りたいわけではないのだ。ただ、忘れられたままでいたくなかった。それだけのことだ」

竜はそう言うと、翼を大きく広げた。羽ばたきの一陣が、エロディの前髪を大きく揺らした。

「その帳面は持ち帰るがいい。そして、伝えよ。城の主が誰であろうと、次にまた我を軽んじる代が来れば、その時の裁きに、今日のような温情はないと」

言い終えると同時に、竜は峰の彼方へと舞い上がり、たちまち夕闇の中に姿を消していった。

エロディが城へ戻ると、茨はすでに枯れ落ち、止まっていた時計が一斉に時を刻み始めていた。王女オーロールは目を覚まし、百年の空白を知らぬまま、ただ長い夢を見ていたかのような顔で身を起こした。国中が沸き立つ祝賀の中、エロディはひとり、玉座の間の隅に立ち、竜の座るはずだったがらんとした上座を見つめていた。

その日を境に、ヴァレンクール城の年代記には、新たな一文が書き加えられることになった。「生誕祭には必ず竜を招くべし。ただし、竜は二度と、その席に着くことはない」――それでもなお、上座には毎年、誰も座らぬ椅子が一つ、静かに据え置かれ続けたという。

あとがき

シャルル・ペローの「眠れる森の美女」は、招かれなかった老いた妖精の呪いと、それを和らげる若い妖精の慈悲、百年の眠りの後に訪れる王子の口づけという、赦しと救済の物語として知られている。

本作ではその老いた妖精を、建国の代から城と盟約を結んできた一頭の竜に置き換えた。代替わりのうちに宮廷の記録から忘れ去られ、王女誕生の祝宴にも招かれなかった竜は、原作の妖精のような温情ある軽減を挟むことなく、盟約を破った代償として百年の眠りの呪いをそのままかける。呪いを解く鍵も、王子の口づけではなく、代々の書庫番の家系に受け継がれてきた記録と、その末裔が携えた詫びの言葉に置き換えている。

竜は最後まで、和解の場に姿を現さない。詫びの言葉だけを受け取り、山へと帰っていくその姿は、誰かに赦しを与えるためだけの脇役ではなく、誇りを傷つけられた者として一貫した姿勢を貫く「悪役」として描いた。ヴァレンクール王国、書庫番リゼットとその末裔エロディ、竜の来歴や盟約の詳細といった要素はすべて本作独自の創作であり、原文の翻訳や逐語的な引用は行っていない。


本作はシャルル・ペロー(Charles Perrault)著『La Belle au bois dormant』(童話集『Histoires ou Contes du temps passé』所収)を参考にした翻案作品です。

本作はシャルル・ペロー(Charles Perrault)の『La Belle au bois dormant(眠れる森の美女、童話集『Histoires ou Contes du temps passé』1697年刊、所収)』を参考にした作品です。原典